沖永良部島の情報

沖永良部島は、鹿児島から南546kmに位置し、島全体が珊瑚礁でできた島。

人口は約15,000人程で、42もの集落があり、気候は四季を通じ暖かく、年平均気温22℃という亜熱帯海洋性に属しています。
「いらで、いらばらぬ、いらぶじま」
どんなに選んでもこんなに良い島は選ぶことができない、と伝わるほど豊かな自然に恵まれています。

□ 歴 史

古くは琉球国に属し(1266年〜1609年)、琉球服属は340年続きました。

 現在の本島に伝承されている文化・言語・風俗などは、その当時に起因しています。
1609年薩摩の琉球支配に伴い、本島は薩摩藩の直属領になり、1871年の廃藩置県まで260年間続きました。
その後、第2次世界大戦が勃発し、1945年敗戦によリ1946年1月28日祖国から分離され、1953年12月25日祖国復帰するまでの8年間、米軍政下にありました。

□ 島の産業と特産物

産業は農業が基幹となっています。

○さとうきび

○花 き

(テッポウユリを主体にフリージア、グラジオラスの切花栽培が行われています。)

○野 菜

(亜熱帯の温暖な気象条件を最大限に生かし、バレイショ・石川サトイモ・実エンドウ・インゲン等生産が年々伸びています。また、バレイショは「春のささやき」として鹿児島県のブランド指定を受けています。)

○果 樹

(完熟マンゴー、奄美たんかん、奄美パッションが栽培されています。)

○葉たばこ

(昭和50年に本耕作が始められ、単位収量、品質面でも高水準にあります。)

特産物は、主要農産物の黒糖を原料とした「黒糖焼酎」。
昭和28年奄美群島がアメリカから日本復帰した時、奄美群島に限って黒糖焼酎の製造が許可されました。

□ 伝統芸能

○瀬利覚の獅子舞

 獅子舞は、沖縄本島をはじめ日本の各地で、厄払いの行事や豊年祭の出し物として踊られています。
 い時代に中国大陸から沖縄に伝わり、沖縄からその信仰と共に沖永良部に伝わったものだと思われます。
 獅子のつくり方や踊りかた、使う道具等、沖縄のものと大変よく似ていることで知る事ができます。

○上平川大蛇踊り

 上平川の幸山政孝という人が薩摩藩への貢ぎ物の御用を無事すませて帰島する途中に嵐にあい、明国に漂着し、そこで暮らすうちに大蛇踊りを覚え、数年後沖永良部へ帰る際、琉球に立ち寄り琉球の歌と踊りを取り入れ上平川大蛇踊りを完成させたと言い伝えられています。

○久志検チンカラ踊り

 今からおよそ二百年前、久志検の川畑中納という人が、当時の上役人と三名で、薩摩に貢物(税金)を納めに行きましたが、その御用を済ませて帰るまでの期間地方をまわって見物しているうち、ある集落で楽しそうな珍しい踊りを発見しました。
 氏は、この踊りを教えてもらい、しっかり身につけてから島に帰り集落の人々にも教え伝えました。これが、久志検集落のチンカラ踊りの始めだと言い伝えられています。

○西目イシシハカマ踊り

 江戸時代の終わりの頃、上城の沖野松盛氏が代官付人として、鹿児島へ行った時に、この歌を習い覚えて帰り、西目の踊りの先生方や三味線の名人達と協力して創ったのが、この踊りの始まりだと言い伝えられています。
 現在は、西目地区の無形文化財として、上城・下城・新城の全集落で唄い踊られています。

○ヤッコ踊り

 今から300年前に琉球から踊りが伝わったと推測される「ヤッコ踊り」沖永良部の人たちは長い間、台風、干ばつ、風水害、地震、その他の試練に悩まされながら、農・家業に励んできました。その苦しみの中からにじみ出た歌や踊りをし、融和と親睦、団結を図り、郷土芸能として伝承されてきました。
 現在では、知名町の正名集落や和泊町の国頭等、数集落に伝承されているだけになっています。

※この他にも各集落で伝承されている伝統芸能がたくさんあります。

□ 観 光